レポート
2011/04 宮城県・福島県
東日本の一日も早い復興をお祈りしています。
私の所属する会社では被災地への支援部隊を派遣しており、
土木系の技術を活かして被災地での支援を行っている。
この支援部隊への支援物資輸送を実施した。
あわせて、岩手県陸前高田市・宮城県気仙沼市の状況を報告する。

夜通し運転なので夜の写真はなし。

朝6時、岩手県へ。
爽快な青空で、本当にこの先に被災地があるの?という感じ。

ガソリンの供給も回復したらしく、普通にガソリンスタンドで給油が可能。
津波で壊滅した地区意外は、割と日常が戻ってきている感じもする。

陸前高田市。
かなり内陸まで浸水したらしく、海岸線から5kmくらいまで瓦礫がある。


中心部は壊滅状態で、すべてのものが壊滅しており、
目的地に向かうためには、
カーナビを頼りに地形と照合していかないと辿り着けない。


津波は陸前高田が16mと一番高かったことから、
壊滅度合いは一番ひどい。

これは市役所だがナビがないと辿り着けない。




気仙沼市。

こちらも酷い状況で、いまだに浸水している地区もある。

さらに沿岸部に行くと陸前高田並みの壮絶な状況に。

こういう船とかどうやって撤去するんだろ。

流されずに残った歩道橋から見るとこんな感じに。

仙台空港に寄って行く。
なんとこういう状況でも4月12日から民間機が就航するようだ。
仙台空港が水没したため、飛行機もかなり被害を受けている。
大型旅客機はたまたまいなかったためにセーフだったが、小型機は全部やられた。
小規模な飛行場だと河川敷にあることが多く、
増水が予想される場合は他の飛行場まで逃げることもあるが、
今回の場合、地震直後に津波がきたため、逃げるのは時間的に厳しかったであろう。
また滑走路もクローズされていただろうし。
まあ、無理に飛び立てないことはなかっただろうが、
もし飛び立てていれば襲来する津波を上空から撮影でき、
歴史的な写真が撮影できたかもしれないな。


仙台空港近辺は平らな土地でかなり津波が奥まで押し寄せた。
ところが、この仙台東部道路は全線盛土構造なので、
これが堤防のような役割を果たし、東部道路の東西でだいぶ被害状況が異なる。

その後、無事に帰還。
その2

桜の季節だな。

常磐道を南下し南相馬市方面へ。

国道6号を南下する。

新地駅。

4両編成の列車が停車中に津波が押し寄せた。
なお乗客は避難して無事であった。

完全に瓦礫の山に。

線路も流されており復旧のめどは立っていない。

新地町役場。

JR常磐線の代行バスが走っている。


原ノ町駅は閉鎖されて無人。

南相馬市は原発までの距離23kmで退避20km圏が目前だ。
ちょっとゴーストタウン化しているという情報もあったが、
かなり人が戻ってきている。

国道6号は20km地点で封鎖されている。
原発まで20.2km地点のセブンイレブンがなんと営業している。
営業時間は10〜15時と短く、商品も少ないが、
それでも営業しているのはほんと凄い。
原発に最も近いコンビニとして補給拠点としても活用されているとか。

無事な駅はそのままだが・・・。

いっけん平和な空が広がるが・・・。

小さな道も基本的にすべて閉鎖されている。

しかしここだけは閉鎖されていなかった。
地元車が活発に出入りしており、実際に侵入可能であるが、法令違反である。

ナビがないと場所がさっぱりわからない。

次は飯舘村。
いまは放射線量は10μSv/h以下まで落ち着いているが、
最高では40以上のこともあったとか。
雑草に100万ベクレル/kg以上が検出されたこともあり、
土壌にはかなりの放射性物質があることが予想されるが、
半減期8日のヨウ素131は事故当日の3%まで減少している。
半減期30年のセシウムはいまだにそのままだ。

一見平和な農村だが・・・。

人が少ない。

20km地点は封鎖。

葛尾村役場。
以上。
僕も支援部隊として派遣される予定である。そのときはまた報告する。