(レポート)



2011/03 茨城・福島(高速道路)


東北地方・関東地方の一日も早い復興をお祈りしています。

僕の所属する会社では被災地への支援部隊も派遣しており、
今回、被災地への支援部隊の支援物資の輸送を実施したため、その様子を報告する。
ただ、福島は被災地であることから、
無駄に被災地のリソースを消費するのは好ましくない。
そのため、今回必要な分の燃料・水・食料を持参した。



埼玉からまずは北関東道の起点の高崎へ。







北関東道の新規開通区間。
開通日は3月19日だが地震当日から緊急車両は通行しまくっているようだ。
特に西方面からの自衛隊の移動にはかなり貢献しており、
西日本方面からの部隊はここを通行すれば首都高を通らなくて済むので、
渋滞解消に効果は絶大だったようだ。




栃木県。



北関東道から一旦東北道に合流する。
ものすごい自衛隊車両の数。
まるで戦場に向かうかのようであるが実際に戦場である。
自衛隊10.6万人・米軍1.6万人・警察消防数万人が投入されており、
合計人数は相当なものとなっているはず。
ちなみに日本史上に残る大戦である関ヶ原の戦いで16.5万人だ。





東北道の復旧状況。
緊急交通路は解除されており、一般車がかなり多い。
しかし緊急車両の通行には支障がないだろうという判断だろう。
それでも50km/h規制となっているところもあり時間がかかる。




いざ福島県。
ここから先は燃料の補給はできないと思ったほうがよい。
実際、上河内SA・那須高原SAは給油は長蛇の列。
その先は緊急車両のみのようだ。








東北新幹線と交差。
4月末の復旧に向けて24時間体制で復旧工事が進められている。
復旧後もおそらく新潟中越地震で被害を受けた上越新幹線のときのように、
当初は160km/hなどの速度制限箇所が頻発し、
とても通常通りのダイヤでは走れないであろうが、
それでも高速バスなどに比べて圧倒的な速さと輸送力を発揮するはず。
これは被災地域の復興には大きな助力になるはずだ。




郡山。
車内の空調を内気循環に切替える(気分の問題だ)。
といっても、このときで3μシーベルト/h(=26mシーベルト/年)なので、
ただちに健康には影響がない(政府発表)。
この程度なら煙草を吸うほうがよほど健康に影響がある気がするな。




磐越道をいわき方面へ。
磐越道は福島第1原発から30km退避エリアに近接しており、
最大で32kmほどまで接近する。
高速道路自体はそこそこ交通量があるものの、
下界の一般道をみると人の気配はなく、車も通っていない。








いわき駅。
駅も被災しており無人であるが、
毎時2本に増便された東京行き高速バスが客を運んでくる。
それ以外のバス路線は燃料不足のためほとんど運行されていない。
コンビニは営業しているところもあるが物資は少ないようだ。
飲食店などの営業はなし。
ガソリンスタンドは一部店舗で営業しているが物凄い行列になっている。
一部報道にあるようにゴーストタウンというほどではないが、
駅の2階デッキで地元ラジオ局の放送が寂しく響いていたのが印象的だった。




国道6号は途中で津波に浸かった区間もあるらしく瓦礫が散乱している。
一日も早い復興を願わずにはいられない。
なおここで原発まで35kmほどの距離で30km退避エリアが目前である。
そのためかフードやマスクをしている人が多い。
なお30km退避エリア圏内は警察などが厳重な警戒をしているため、
入ることはできないであろう。








那珂ICのあたりは土盛が崩壊したが僅か6日で復旧した区間である。
通ったが普通に通れてびっくりした。
とはいえ、制限50規制にはなっている。
トンネル区間もあるが計画停電となった際には、
一気にトンネルが消灯するため要注意。
必ず事前にヘッドライトを点灯しておくこと。





北関東道。
実はこの区間を通行するのは初めて。




埼玉圏内の東北道へ戻る。


以上、無事に帰還。
今回の偵察を総括して一番驚いたのが、高速道路の復旧の早さで。
震災から僅か半月で通行できるようになったのは本当にすごい。
NEXCOの皆様の努力は被災地の復興の一助となっているはずだ。
また埼玉県では大きな被害はないが、節電するなどの協力をしていきたい。
また、被災地の交通施設復旧のため僅かであるが募金を行った。




総費用6k(義援金を除く)